今回は所さんのそこんトコロで「入るのに勇気がいる店」として谷中銀座のマキシマ研究所の巻島京子さんと巻島幸三さん夫妻が紹介されました。
マキシマ研究所では世界で唯一の製品「マキシマクラウン」を製造販売しています!
確かにお店に入るのに勇気はいりますが、とても気さくなご夫妻です。
そんなマキシマ研究所と、巻島ご夫妻を調査したいと思います!
マキシマ研究所
マキシマ研究所は東京メトロ千代田線 千駄木駅 (2番出口)を出て徒歩2分の台東区の谷中銀座にあります
お店では世界で唯一の製品である「マキシマクラウン」を販売しています。
「マキシマクラウン」は帽子でもカツラではなく、被り物でもなく「これが1つのマキシマ」という製品なんです。
こちらの動画の8分42秒からマキシマ研究所の「マキシマクラウン」について装着した感想と一緒に製品を紹介しています。
巻島幸三さんの拘りが伝わりますが
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「取り合えず被って下さい」って。。。
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被った感想ですが
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思った以上にファッション性が高いのと
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思った以上に値段も高いことが分かりましたね
巻島京子
「マキシマクラウン」の創始者は巻島京子です。
もともと声楽家になりたくて女子美術学校の前身にあたる佐藤高等女学校に通っていた巻島京子さん
ですが第二次世界大戦中で学校が燃えてしまい一時は茨城へ疎開。。。
戦後、東京に戻り神田神保町のひまわり社に勤め始めた巻島京子さんは仕事が楽しく夢のような毎日を過ごしたそうです。
仕事で扱う帽子やかつら、リボン、造花といった飾りではなくて、ヘアスタイルを兼ねたものがあるといいなと思ったと。。。
ひまわり社に勤めていたころにマキシマクラウンの原点があったのです。
しかし、家庭の事情で美容室で働くことに。。。
美容室で認められてお客さんを任されて人気美容師になった巻島京子さんですが、体を壊してもお店を辞めさせてもらえなかった為、最後は夜中に店を出ていったのです。
戦後の昭和ですから、とても大変な時代ですよね
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今なら「労働基準法が・・・」って言えますが
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巻島京子さんの時代では生きていくのも大変ですし
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体を壊しても辞めさせて貰えなかった時代。。。
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今の我々が豊かさは、戦後の人々が頑張ったお陰ですよね
その後巻島京子さんはお姉さんのご主人の紹介でマネキンのカツラを作る仕事を始めます。
そしてご主人の巻島幸三さんと出会い結婚。
京都と滋賀で約20年、マネキンの仕事をしていました。
そこで沢山の人から仕事を教えて欲しいとお願いされて弟子さんは延べ1000人位に。。。
しかし、仕事が出来るようになるとみんな他に引き抜かれてしまったのです。
東京の谷中に移り住み巻島京子さんがマキシマクランをかぶって街を歩いていると
「作り方を教えてほしい」と度々声を掛けられるけど、
もう教えるのは疲れてしまった巻島京子さんは創作一筋の人生を歩んでいます。
巻島京子さんはとても職人気質の方なのですね
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私は不器用ながらも誠実な京子さんを尊敬します
巻島幸三
マキシマ研究所の経営や技術を担当は巻島幸三さんです。
巻島幸三さんは実は京子さんとは別の方と結婚する予定だったのです。
元々京子さんは仕事柄若い女性の知り合いが多かったので幸三さんのお姉さんからお嫁さんを探して欲しいと頼まれたのです。
巻島幸三さんは別の方とデートされていて、京子さんは仲人をするつもりでいたのですが・・・
巻島幸三さんは京子さんを好きになってしまったのです。
昭和も今も恋愛の情熱はいいですね
創作は巻島京子さんの手作りですが、糸は巻島幸三さんが世界中から染料を集めて染色します。
巻島幸三さんは原材料から技術まで勉強を重ねて特注したり
シルクの糸を編み上げる技術は世界ではあまり見られない技術で、特許も取得しています。
そして巻島幸三さんはマキシマクランが最高レベルだと誇りをもっています!
まとめ
マキシマ研究所は世界で唯一の製品「マキシマクラウン」を製造販売しています
巻島ご夫妻は巻島幸三さんが京子さんを好きになり結婚。
巻島ご夫妻は今なお「マキシマクラウン」の創作を探求されています。
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