俳優の大鶴義丹(おおつる ぎたん)さんが『徹子の部屋』に出演し
2024年5月4日に他界した劇作家で芥川賞作家の父親の唐十郎(から じゅうろう)さんとの
幼少期の思い出について話されます。
大鶴義丹(おおつる ぎたん)さんが過ごした
父親の唐十郎さんと母親の李麗仙(り れいせん)さんとの
幼少期の家庭事情について調査したいと思います!
大鶴義丹(おおつる ぎたん)幼少期の家庭
大鶴義丹(おおつる ぎたん)さんは1968年に
父親の唐十郎(本名:大靏 義英[おおつる よしひで])さんと
母親の李麗仙(本名:大靏 初子)さんの間に生まれました。
唐十郎さんは「アングラ四天王」と呼ばれており
当時の家は1階が自宅で2階は唐十郎さんが主宰する劇団「唐組」の稽古場でした。
大鶴義丹さんは幼い頃から多いときは50名の劇団員が芝居の稽古をする環境で育っています。
両親も大鶴義丹さんことより舞台稽古に夢中・・・
幼少期の大鶴義丹さんは劇団員のお兄さんお姉さんに相手をして貰うことが多く
5歳のときには、どんなに空腹でも
「おなかが空いた」なんて言えない環境で
ご両親も「3時間くらい食わなくても死にやしない」という考えだったのです。
現代社会では『ネグレクト』で問題にされそうですね・・・
でも、こういう環境ってマイナス面ばかり目に付きますが
実はプラス面もあります。
色々な人と触れ合う事でコミュニケーション能力はあがるし
生きていくために逞しくなります。
現代社会は子供の生き抜くための力が弱くなってきているので
親が意識してこういう環境を作ることも大切な事かもしれませんね。
大鶴義丹(おおつる ぎたん)家族団欒
大鶴義丹さんはご両親とも劇団の仕事をしていた為・・・
家では常にまわりに人がいたし、親も忙しくしていましたから
いわゆる〈家族の団欒〉はなかった
と語っています。
当然「お祝いごともしない」そうで・・・
大鶴義丹さんが「今日は僕の誕生日だ」と言えば
唐十郎さんからは「俺はグレゴリウス暦そのものを否定している」
なんていう言葉が返ってくるだけだったのです。
あるとき大鶴義丹さんはご両親が芝居の稽古がない日が10日くらい続き
家族3人だけで過ごしたことがあったのですが・・・
このときの気まずさといったら……
と語っています。
そして、お友達の家に遊びに行ったときに
親とはこんなに子どもの面倒をみるものなのか・・・
と驚いたそうです。
正直、誕生日がないのは寂しいですね・・・
私も子供の頃に誕生日をちゃんと祝ってもらった記憶は薄いですが
家族でファミレスで食事くらいはしていました。
日本では、昭和24年に「年齢のとなえ方に関する法律」が制定された以降
個人の誕生日を祝う習慣が一般化したそうです。
大鶴義丹さんは昭和43年生まれですから
お友達の家でも子供の誕生日を祝うところは増えていたでしょうから
自分の家庭との違いには驚いたのでしょうね。
大鶴義丹(おおつる ぎたん)料理を始める
大鶴義丹さんはご両親が忙しかったので
『キユーピー3分クッキング』を見て、自分で料理を作るようになり
すっかり料理好きになったのです。
それに母親の李麗仙(り れいせん)さんも料理は苦手だったそうで
お弁当に「汁物を入れたり」、「おかずが動かないように仕切る」なんてしなかったから
お弁当の蓋を開けると中はぐちゃぐちゃだったようで。。。
恥ずかしいから運動会でも遠足でも、弁当は自分で作っていったのです。
母親の李麗仙さんもそれを見て「あんたのほうがうまいから、自分でやりなさい」
っという状況でした。
私も小学生の低学年の頃から
自宅のコンロでインスタントラーメンを作っていました。
私も料理が好きなので、子供の頃の環境って
大人になっても影響が大きいですね
東京ガス都市生活研究所が子供に料理のお手伝いさせる年齢について調査した結果では
「5歳」が最も多くなっています。
まだ早い気もしますが、親が子供にお手伝いをさせるというのは
教育としてとても大切なことです。
時間もかかるし大変でしょう・・・
しかし、根気強く子供の成長の為にお手伝いの機会を作ってみてはいかがでしょうか?
大鶴義丹(おおつる ぎたん)まとめ
大鶴義丹さんはご両親が劇団の仕事が忙しくて
「お腹が空いた」と言えない環境で育っていました。
大鶴義丹さんは家族団欒はなく、誕生日も祝って貰ったことがありませんでした。
大鶴義丹さんはお母さんが料理が上手でなかったこともあり、
自分で料理を憶えて、お弁当は自分で作って持っていったそうです。
俳優の大鶴義丹(おおつる ぎたん)さんの幼少期の家庭について調査してみました。
確かにちょっと寂しい気もしますが、大鶴義丹さんの生命力の源も
この幼少期の家庭環境で身に付けたものしょう。
今後も大鶴義丹さんが舞台で活躍できるように応援したいと思います!
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